2011年04月05日

311・もう何が何だか

わからない3月でした。
ニュースで「震災から2週間」と言ってるのを聞いて「嘘だ、2日の間違いだろ」と驚くと同時に
百も老けたような気もします。
暗い事ばかり書いてしまいそうだったので、状況報告も怠っていました。
御心配頂いてスミマセン。やっと少しだけ気持ちが落ち着いて来た今の内に更新を。

実家関係です。
地震が起きた時は昼間だったので、津波到達時に何処に居たのかが一番の不安要素でした。
全員、車や家に閉じ込められ、波に攫われあらゆる漂流物にぶつかり、残った屋根上で救助待ちでした。
場所は違えど姉もえじろも車で移動中に地震に会いました。
あっと言う間に津波に巻き込まれ、どうにか無事な屋根に辿りつき摑まり、九死に一生を得ました。
えじろは屋根の上で爆発音と火の手に囲まれながら一夜を明かし、翌朝水が引き、様子を見に来た漁師さん達に助けられました。
うちの姉は車を捨てて父の住まいに駆けつけ、住まいごと波に飲まれ辿り着いた何処ぞの屋根の上で、やはりやっと水が引いてやって来た消防車に梯子を渡してもらって助かりました。
全員低体温で病院へ。えじろも姉も負傷と、漂流物にぶつかって全身アザだらけ。
えじろは車のガラスが割れなかったらアウトでした、姉も冷蔵庫が浮いて流れて来なければアウトでした。
(浮いた冷蔵庫に摑まって波の中を移動したそうです)
運・・・と呼ぶにはあまりにも惨い状況です。
やっとケータイが繋がった日、ガキの頃よく遊んだ幼なじみが亡くなったと知りました。
仲良かった子、悪かった子、町内の人、世話になった人、狭い町です、どこかで誰かが顔見知りです。
漁師町のカセギトなおっぱやん、おんつぁどぉ(働き者なおばさん、おじさん達)・・・。

遺体も体と判れば良い方だそうです。
男女の別が判らない、一部分だけ、内臓だけ・・・。DNAを採取して置くそうです。
当たり前のように道端に、亡くなった人や、その一部がある、どこか麻痺した状態は脱したようですが
捜索が済んだ場所や遺体発見場所には赤い印が付いていて、印が付く前から家の瓦礫を片付けてる人達は、印が付いた後でも片付けていて何があるか怖いと言っていました。
避難所も阪神の時と同じく、かなり格差がある様子。
統合される日程が段々決まってきて、心配な栄養状況などこれで少しは改善されるかなと期待します。
それでも原発被害の出荷停止で命を絶った農家の人や、先の見えなさに今日もまた一人避難所で命を絶った人が居ると聞くと・・・。
ニュースで希望の知らせを届けるのは良い事だと思います。しかしニュースに映らない事が百倍あります。
現場の状況を見聞きするにつれ、復興なにそれおいしいの?な気持ちでした。
復興ももちろん大事ですが、「今」引き止めて踏みとどまって貰うために何とかならんかと・・・。

スミマセンやっぱり暗くなりました(汗)
無事な人間は節電節水を心がけながら、普通の生活を送る事が支援。こんな時だからこそ経済を回す事が重要。そう理解して、日常に戻らなきゃ戻らなきゃと思うのに体の中がギシギシ音をたてた3月。
気分が上昇しては下降、毎日大波に揺られているような時間を過ごしました。
たぶん心と体のバランスがちょっと崩れていたと思います。我ながらなさけない。
それでもここ数日少しずつ気を持ち直す事が出来てきました。
現在はmixi情報や公式ニュース、ツイッター等で集めた物資配布やら流通の更新情報を、ネット環境パーな地元へケータイ発信しています。
役立ってるかどうか判らないけれど、凹む情報もあるけれど、現地では無事だった元気な人間が踏ん張ってくれています。電気の付く地に居る自分がめげてはいられません。
個人物資も送れるようになりました。被災地にどーんと寄付なんて無理ですが!
ほんの少しだけど、地元にちょっとオタクならではの支援をしようかと思っております(^^ゞ

いつの間にやら4月です、まだ3月終わって無い感覚です。
今後、被災関係の徒然は記事タイトル頭に311と付けますので、苦手なかたは飛ばして下さいね。
拍手やメールで御心配、お見舞い下さった皆様、ありがとうございました。
お返事は後程いたします。メール返信も順次いたしますので今しばらくお待ち下さい。
posted by なの at 23:57| 311覚書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする